役者のつもりは無かったのじゃが、 火野村玄竜役で演じてみることにしたのじゃ。 中の人は「斉藤竜明」と申す。 他ではあまり書かない趣味の話でもいたそうと思う次第でござる。
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「水上観測機」という機種は
日本にしかなかったのではないだろうか。
ここで取りあげるのは
「零式水上観測機」という、昭和16年に出てきた
水上機である。(正式採用は昭和15年12月)
太平洋戦争が始まった年で、
800馬力エンジンを搭載、7.7mm機銃3丁を装備し、
大戦初期には戦闘機を相手に互角に戦ったと言う。
本機は「観測機」とされるが、何を観測するのかと言うと
「戦艦」の大砲の着弾状況を観測するのが目的だった。
戦艦の主砲弾は30キロ以上とび、
大和では40キロにも達する。
その着弾点を観測し、逐一報告し、
照準を修正すると言うものだった。
丸っこくて人懐っこいスタイルをしてるんですよね。
で、この時期にあえて複葉機で作られてるあたりとか。
観測が目的だから、操縦手と観測者の二人乗り。
平和ないまの時代にこそ乗って見たい。
7.7mm機銃を全部取り外せば34キロ、弾丸も含めればさらに軽くなるから
軽快に飛べると思うのだが・・・
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斉藤竜明活動中
戦時中に日本が作った変わりダネ戦闘機
「雷電」。
何が変わっているかって、見た目でわかるレベルで
「でぶっちょ」。
迎撃専用戦闘機として、大馬力のエンジンを使用する大前提があったのだが、
当時の日本には1000馬力を超えるエンジンは全て、爆撃機用の大型エンジンしかなかった。
なかでも雷電は一式陸攻(一式陸上攻撃機)にも使われていた
「火星」というエンジンを使用していた。
大きいエンジンを小さい機体に、如何にして載せるか?
結果として雷電はエンジンに合わせて太い機体となった。
1800馬力、初期型で590キロほどの最高速度を出したという。
だが、無理やり大型エンジンを載せた弊害で、コクピットから下側の視界が悪く、
離着陸時に地面が見えないため、事故が多発したそうな。
また、小回り性能も悪く、軽快な零戦に慣れたパイロットからは
敬遠されたとか。
一時は製造中止とまでなったが、ほかに雷電を越える迎撃戦闘機が無かったため
大戦後期に生産が続行された。
500機弱だったかな?
設計は零戦と同じ「堀越ニ郎」技師。
乗りこなすのは大変だったようだけど、妙に人懐っこいデザインが好き。
強制冷却ファンというのがエンジンの前についていて、
大型空冷エンジンを搭載している割に機首が細く絞られている。
試験的に排気タービンも付けられた。
確か、三菱ともう一社・・・忘れたけど。
どちらも戦争には不参加と聞く。
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斉藤竜明活動中